ゆるすことは愛すること

「ゆるすことは、愛することなのです」

それは中国の思想家・孔子が人倫の基本としてあげた「恕」に通じます。


「あなた」を意味する「恕」と、「心」の、2文字からなる「恕」は、自分のことのように相手を思い、その存在を尊重する心のことです。


相手ばかりが憎むべき醜さをもっているのではなく、自分も同様に弱さも醜い根性をももった人間ではないか。

その自分がこうしてゆるされて生きていることを顧みれば、相手もまたゆるされるべきだ、と感じることのできる心です。


そうした「恕」の心をもって憎しみをゆるしに変えることができたとき、その人には本当の安堵と喜びが与えられるのだと思います。

仏教の開祖・釈迦もこのようなことばを遺されています。


「恨みに報いるに怨みをもってしたならばついに息むことがない。怨みを捨ててこそ息む」と。


ゆるすという行動は、妥協やあきらめや後退ではありません。

また、単に勘弁してやるとか、水に流すとか、大目に見るというレベルにとどまるものでもありません。


憎い相手もまた自分と同じように、この世にただ一度きりの生を与えられた価値ある存在であることに気づき、それを尊重することです。

ともに生きている意味を知ることです。

 

ゆるすという、最も人間らしく、最も難しく、そして最も勇気ある行動を選びとる力をどうか私たちに与えてください。

そう私は絶えず心のなかで祈りを唱えています。  



「日野原重明 続生きかた上手」より


たきがみ博士
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  旬(ときめき)亭

  亭主 たきがみ博士