原因を問うのではなく、
解決策を見つけ出すことに全力を傾けること
打つ手は無限、と解決策を探す人でありたい。
物理学や化学では、なぜこのような結果になったのか。
この原因は何かということを追求することが重要な要素となっています。
しかし、アドラー心理学は違います。
下手に原因追究を始めると、人生の大切な目的を見失うことになるのです。
そのために生きる意欲を失っていくことになりがちなのです。
たとえば、友人とケンカをしたとします。
お互いに、あなたがそういうことを言うからケンカになったじゃない。
違う、あなたの性格が悪いからケンカになったのよ、と言い合います。
しかし、そんなふうにケンカになった原因を追究し合っていても、無益なのです。
言い争いがますます激しくなっていって、
もうあなたの顔なんて見たくない絶交だというところまでいきかねません。
この時に大切なのは、ケンカになったら原因を追究することではなく、
どうすれば仲直りできるか。
どうすれば、もっといい関係でいられるかといった解決策を見つけ出すことなのです。
つまり、過去より未来を重視するのです。
また、何かに失敗した時、私が悪かったからこのような結果になったと反省します。
もちろん、反省することは悪いことではありません。
ただし、反省にはいいものと悪いものがあることを知っておくほうが賢明です。
いい反省とは、解決策を見つけ出すためにする反省です。
悪い反省とは、原因を追究するための反省です。
つまり、私のどこが悪かったという反省ばかりしていても、あまり意味がないのです。
自分への自信が失われ、やる気を失っていくだけで、非生産的な精神状態に陥っていきます。
むしろ、今回の失敗で損失をもっと少なくする方法は何か。
どうすれば今回の失敗を挽回できるのかという解決策を見つけ出すためにする反省をするほうが、ずっと生産的です。
思想家の唐木順三は、
自省(じせい)、つまり自分自身の内にうまくいかない原因を追究するような反省の仕方をしていると、底なしの泥沼にはまっていくという言葉を残しています。
これが悪かったと考えた上で、
こうすれば良くなると考える反省の仕方が大切なのです。
*1分で感動から転載
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