年を重ねるにつれて、
「はじめて」という体験は
どんどん減ってくる。
いつものやり方で処理し、
いつもの考え方で問題を解決し
いつもの朝が始まり、
いつもの夜が来る。
それは、面倒くさくない
ある意味快適な日々。
のはずが、
なぜか人間、その繰り返しに飽きてくる。
まれに遭遇する「はじめて」の体験は
予定外のこと、想定外の出来事。
それは、慣れきった新鮮味のない日常に
感動を呼ぶこともあれば、
悲しい現実を連れてくる場合もある。
いずれにしても、
感情を揺り動かすのは、
「はじめて」体験。
幼い子供の頃は、
おそらく毎日が
「はじめて」のオンパレード。
大人になるに従い、
失ってしまった「はじめて」。
「はじめて」が連れてくる失敗の怖さや悲しさ を
味わいたくないための本能的な回避行動なのか?
実際大人の大半は、
「はじめて」を避けようとするかのように
習慣の中に埋没する。
でも、
なぜか人間、その繰り返しに飽きてくる。
そして、
「はじめて」にチャレンジしている
大人を見つけると、感動し、
共感と尊敬の拍手を送る。
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