幸せの構造 「人生の後半は、捨てたり、手放したり」

私たちの人生には、出発点と折り返し点があります。

 

ちょうどマラソンコースが、一本道ではなく大体折り返し点が設定されているように。

 

なぜマラソンのコースに一本道ではなく折り返し点を設けるかというと、追い風と向かい風が同時に有利不利に働くようにできているからです。

行きが追い風なら、帰りは向い風、行きが向い風なら、帰りは追い風、というように往復で風を受けることで、有利不利が相殺されるようになっています。

 

上り坂があれば、同じだけ下り坂がある。

有利不利を平均化するためには、折り返しを作らなければならないわけです。

 

そして人間の人生というのも、仮に寿命が80歳だとすると折り返し点が40歳です。

70歳の方なら35歳が折り返し点になります。

 

往路の場合、求める心が強いほど追い風になります。

後半は、執着(しゅうちゃく)を捨てる心が追い風になります。

 

人生の前半生は、折り返しまでの半分は求める心が強いほど、それが追い風になります。

ところが、人生前半の追い風が強ければ強いほど、人生の後半は向かい風になります。

 

もし自分が人生の折り返しを過ぎているな、と感じる人は、この復路に入っています。

 

人生の後半生は、こだわりや執着を捨てていく作業の過程なのです。

若さや美しさ、体力、気力に対するこだわりの心を捨てていく。

 

実際に体力や気力も若い頃ほどもたないので、「ああ、そんなに若い頃と同じには頑張れないよね」と執着を捨てざるを得ません。

親や配偶者、長年の友人との決別、子どもの独立など、人生の後半は決別の連続です。

 

それに対していかに執着しないか、ということを自分の中に作っていくことでしょう。

そして、人生の後半生で執着を捨てる心が強ければ強いほど、人生が楽しい。

 

向かい風がなくなるからです。

求める心が強くて、あれが欲しいこれが欲しい、と言っている力が強ければ強いほど、逆風が強くなる。

 

幸せの構造というのはこのように簡単になっているらしいのです。

 

 

 

 

若いうちは、生きることに貪欲で、ギラギラと突き進むくらいでちょうどいい。

さも知ったかのように老成してしまっては、人生いつやるのか、ということだ。

 

しかし、今若い人も、いつかは年をとり、人生の後半生はやってくる。

そして、人間誰でも、最後の瞬間は、すべてを捨ててあの世に行かなければならない。

 

あの世に行くとき、三途(さんず)の川の番人は、こう言うそうだ。

 

「どんな大事なものでも 荷物は みんな 捨ててください、

            自分のからだも 捨てるんですよ」

                       (ほほえみ読本)より

 

人生の後半生は、捨てたり、手放したりする修行。

 

 

*1分で感動さんより転載

 

 
たきがみ博士
たきがみ博士

  旬(ときめき)亭

  亭主 たきがみ博士